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前回の第3話では、名機ブラボーキングダムとの出会いと、その魅力に深く引き込まれていった日々、長年決めていた上限枠を超えて1ヶ月で40万円ボロ負けという人生で初めて経験した深い沼の痛みについて振り返りました。
パチンコ専門誌との出会いによって少しずつ客観的なデータに目を向け、オカルトから脱却して負けを取り戻しつつあったものの、やがてブラボーキングダムは時代の流れとともにホールから姿を消してしまいます。
ちょうどその頃、私自身の本業も多忙を極めるようになり、しばらくの間はパチンコ店から足が遠のく日々が続いていました。
日々の忙しさに追われ、あの鉄火場の熱気から離れていた私でしたが、その後の人生において想像もしなかった大きな転機を迎えることになります。
今回は、13年間勤め上げた会社を退職するという人生最大の重大な決断を下し、自分自身に非常に厳しいルールを課しながら、パチプロ・専業としての新たな道へ一歩を踏み出した1994年初頭の記憶を辿ってみたいと思います。
13年間勤めた会社を退職した日、時計を気にしない日々の始まり
頭の中で繰り返した葛藤
1993年の後半、私は長年籍を置いていた会社を退職しました。当時は今でいうワークライフバランスといった概念は薄く、朝から夜遅くまで身を粉にして働くことが当たりとされていた時代です。
今振り返れば、よくあれだけの激務に耐えて働き続けたものだと自分でも感心しますが、それだけに退職という大きな決断を下すまでには、頭の中で何度も葛藤を繰り返しました。
毎月の安定した給料や収入がなくなることへの不安や、社会的な肩書きを失うことへの戸惑いがなかったわけではありません。
ただ、それ以上に「一度きりの人生、ここでしっかりと立ち止まり、これからの生き方をゆっくりと見つめ直してみたい」という気持ちが、私の中でどうしても抑えきれないほど大きくなっていたのです。
穏やかながらも落ち着かない1994年1月
次の就職先はあえて何も決めずに、まずは少し心を休めよう。そんな穏やかながらも少し落ち着かない気持ちで迎えたのが、1994年の1月でした。
会社員時代は、毎朝目覚まし時計の音と同時に飛び起き、時間に追われるようにして駅へ向かう毎日でした。しかし退職してからは、当然ながらそんな生活から完全に解放されました。
時計を気にせず、朝の静かな住宅街をゆっくりと散歩する。
そんな何気ない日常の中で、今まで忙しさにかまけて見落としていた地域の景色や、季節の移り変わりを感じる余裕が生まれたのは新鮮な喜びでした。
朝の散歩で耳にした井戸端会議と、日常に溶け込んでいたパチンコカルチャー
地域の人々の身近な話題
当時の午前中の街には、今ではあまり見かけなくなった独特の活気がありました。近所のあちこちの角で、おじちゃんやおばちゃんたちが集まっては楽しそうに井戸端会議を開いているのです。
散歩の途中にその会話が何気なく耳に入ってくると、不思議なほどパチンコの話題が多く飛び交っていることに気づかされました。
「あそこの駅前の店、昨日は結構出ていたらしいよ」 「今日はあそこの店は新台入替や祭日だから駄目だね」
時代が受け入れていたアミューズメント
そんな会話を耳にするたび、当時のパチンコがいかに地域の人々にとって、日常の延長線上にある身近な娯楽であったかを実感させられます。
昭和から平成へと時代が移り変わる中、街の空気感そのものがパチンコというアミューズメントを自然に受け入れていた、そんな温かくも懐かしい思い出です。
決意の証明として自分に課した『20万円プロジェクト』という背水の陣
未来の自分への「貸付金」
穏やかな無職生活を送る中で、私の頭の中である一つの考えが芽生え始めました。
「次の仕事を見つけて再就職するまでの限られた期間、もう一度本気でパチンコというものと向き合ってみてはどうだろうか」
ただし、以前の自分のように「なんとなく店へ行き、大当りが出ないと熱くなって財布から次々にお金を足してしまう」というような、無計画なオカルト頼みの打ち方をするつもりは毛頭ありませんでした。
収入がない今の無職の状況でそんなことをすれば、あっという間に生活が破綻してしまうことは目に見えています。
そこで私は、自分自身の甘えを完全に断ち切るために、ある非常に厳しいルールを設けることにしました。
手持ちの資金の中から「20万円」を切り出し、これを単なる遊びの予算ではなく、未来の自分への「貸付金」だと定義したのです。これが私の『20万円プロジェクト』の始まりでした。
逃げ道を作らないための覚悟
会社を辞めたばかりで新しい収入のあてがない身にとっては、まさに命金とも言える重みのあるお金です。私は以下の条件をプロとしての絶対の掟として自分に課しました。
- 追加の資金投入は1円たりとも認めない
- この20万円をすべて使い果たしてしまったら、その瞬間に私のパチンコ生活は強制終了とする
- 終了した場合は、何があっても迷わず即座に再就職活動を開始する
そう心に強く誓いました。マイナスになればそこで即ゲームオーバーという、自分に一切の逃げ道を作らないための背水の陣です。
今にして思えば、少し肩に力が入りすぎた大げさなルールだったかもしれません。
しかし、当時の私にとっては、それくらい自分を極限まで追い込まなければ、パチンコの持つ特有の魔力に再び呑み込まれてしまうという強い危機感があったのです。
悪評高き「P店」で見つけたお宝、探し求めた名機『綱取物語』
ターゲット機種と逆転の発想
自分自身へのルールを厳格に定めた私が、次に着手したのは「どのホールを主戦場にするか」というホール選びでした。
当時の私の頭の中には、これから向き合うべき明確なターゲットがすでに決まっていました。平和の名機『綱取物語』です。
この機種は、かつて私が魅了されたブラボーキングダムの系譜を継ぐような、独特のモード移行システム(天国・通常・地獄)と劇的な数珠繋ぎ連チャンを持つことで知られており、データ派のファンからも高い注目を集めていました。
私はまず、かつて馴染みのあったA店、B店、C店を順番に巡り、各ホールの扱いをチェックしてみました。
しかし残念なことに、どのホールで機種確認してみても、探し求めている綱取物語の姿は見当たりません。
導入している店を探さなければ始まらない、と頭を悩ませていた時、朝の散歩の途中に耳にしたあの井戸端会議の話がふと脳裏をよぎりました。
近所のおばちゃんたちが口を揃えて「あそこだけは絶対に足を踏み入れない方がいい」と、散々悪評を流していた「P店」の存在です。
普通に考えれば、地域の人々が敬遠するような客のいない過疎店は、選択肢から真っ先に外すのがセオリーでしょう。
しかし、その時の私はプロとしての逆転の発想で、少し違った角度から物事を見ていました。
「誰もが行きたがらないホールということは、一般の客が少ないはず」。
もしそこに目当ての台があれば、ライバルに邪魔されず、じっくりと台の挙動やホール側の釘調整の扱いを分析できるのではないか。何か見落とされている要素があるかもしれない。
悪評の「P店」の自動ドアの先にあった光景
そう思い立ち、半ば確かめるような気持ちで、一度だけP店の様子を覗きに行ってみることにしたのです。
自動ドアをくぐり、店内に一歩足を踏みだした瞬間、私は目を見張りました。
なんと、他のホールでは見つけることができなかった『綱取物語』が、そのP店には両シマに渡って堂々と設置されていたのです。
しかも『綱取物語』はP店でも人気のようで客付きも良く賑わっていました。
私は鳥肌が立つような高揚感を覚えながら、心の中で静かに決断を下しました。
「よし、これからこのP店に通い詰めてみよう」
この何気ない、しかし直感に従ったホール選びが、私のその後の人生の歯車を大きく大きく変える、パチプロとしての運命の選択になるとは、当時の私はまだ知る由もありませんでした。
パチンコ昭和・平成レトロあるある:街のオバチャンの「謎の店情報」と『綱取物語』の天国】
◆ 近所の井戸端会議は「ホール情報の宝庫」
スマホが無い時代の情報源は、立ち食いそば屋や立ち飲み屋、そして近所のオバチャンたちの井戸端会議!「あそこは遠隔だ」「あそこは新台しか出さない」といった根拠のない噂話(オカルト)が街中に溢れていました。
しかし、プロにとっては「客が飛びまくっている極悪店」こそが、まさかのお宝台の眠る穴場だったりしたのです。
◆ 『綱取物語』の「ドシロウト狙い」とハイエナの気配…!
当時の名機『綱取物語』といえば、朝一の「天国モード」狙い! モードの仕組みを良く分かっていないおじちゃん・おばちゃんが朝一で当たって即ヤメしていったり、逆に「数珠連」が終わっているのに地獄モードを全ツッパしていたり……。
シマの裏には、そんなおこぼれをじっと狙う常連やプロの鋭い視線が走っていました。
【この日の実戦から学んだプロの金言】
◆ 浮上へのヒント:世間の評判(オカルト)に惑わされない「逆転の発想」
「あの店は出ない」「あそこはガラガラだ」という一般的な噂や評判に流されているうちは、その他大勢の負け組から抜け出すことはできません。
パチプロや勝ち組が見ているのは「ホールの評判」ではなく、「その店に自分にとって勝てる条件(命釘の開き・甘いスペックの台)が残されているか」という事実だけです。
人が集まる人気店でライバルと激しい台取り合戦をするよりも、世間から見落とされているホールや台に目を向ける「逆転の発想」こそが、ライバル不在の独占ホールを見つけ出す鍵となります。
不安の中で迎えた2月の寒空、シビアな闘いへ
こうして私は、1月の丸々1ヶ月間という時間を費やして、新たな生活様式への「準備」を静かに進めていきました。
ただ闇雲に打つのではなく、ターゲットとするホールの癖や釘調整を徹底的に下見し、データに基づいた自分なりの立ち回りルールを固め、何があっても取り乱さないための心の整理を行いました。
13年間勤めた会社を離れ、時間に縛られない自由を得たと同時に、私は「20万円プロジェクト」という退路を断った挑戦へと身を投じました。
悪評高いP店で見つけた『綱取物語』のシマを舞台に、客観的なデータだけを頼りにヘソ(命釘)と対峙する、シビアなプロとしての日々がいよいよ幕を開けます。
極寒の2月に始まった実戦初日、私を待ち受けていたのは、プロジェクトの存続すら危うくするホールの過酷な洗礼でした。
13年間守り続けてきた会社員という安定を捨て、退職という大きな勝負に出た1994年の冬。
時間に追われる毎日から解放された朝の散歩道で、日常にパチンコ文化が溶け込んでいたあの懐かしい光景は、今でも昨日のことのように思い出されます。
自分を極限まで追い込むために敷いた「20万円プロジェクト」という背水の陣。そして、逆転の発想で足を踏み入れた悪評高きP店のシマで、ついに巡り合った本命機『綱取物語』。
すべての偶然と直感が一本の線で繋がり、パチプロ・専業として生きるための舞台が出揃いました。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第5話】実戦開始と、綱取物語の洗礼|残り6万円の崖っぷちで見つけた希望(1994年2月頃)に続きます。20万円の背水の陣を敷き、P店で『綱取物語』の実戦を開始した私を待っていたのは、初日の快勝から一転、地獄モードの恐怖とわずか6日で23万円を失い残り6万円まで追い詰められる過酷な洗礼でした。
どうぞお楽しみに!


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