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前回の第17話では、6月前半の大不振の中で、感覚だけに頼る立ち回りから理論(ボーダーライン)を意識するようになった時期を振り返りました。
ボーダーラインという考え方を学び始め、「打てない体」の輪郭も少しずつ見え始めていました。ただ、現実は厳しいままでした。1,000回転級のハマリが続き、収支は大きく沈んでいく。
頭の中では理解していても、気持ちが追いつかない。そんな時期に起きた出来事が、今でも強く記憶に残っています。
今回は、最初で最後となった、母と二人でパチンコを打った日の出来事についてお話しします。
連敗の中で迎えた6月中旬
1,000回転超えが連続する過酷な日常
6月に入ってからの状況は最悪でした。974回転、1,284回転、そして別の日の1,129回転。ノートに刻まれる数字だけを見ても、胃がキリキリと痛むような異常な大ハマリが続いていました。
当時は、現在のように頭上に便利なデータ表示機などない時代です。デジタルが回る音を聞きながら、己の頭の中でただ実直に回転数を数え上げていくしかありませんでした。
朝から晩まで必死に打ち続け、ようやく辿り着いた数字が四桁。それでも一度も図柄が揃わないまま夜を迎える。そんな理不尽な日が何度も続いていたのです。
毎朝、布団の中で目を覚ますたびに喉の痛みを覚え、身体の奥が熱っぽい。実際に風邪をひき、薬局で買ったパブロンを喉の奥へ流し込みながら、フラつく身体で稼働を凌いだ日もありました。
「今日はさすがに休むべきかもしれない」
弱気が顔を覗かせる日もありました。それでも、吸い寄せられるようにP店へ向かってしまう。今振り返ると、専業としての焦りから、心も身体も少し無理を重ねていたのだと思います。
気晴らしのつもりだったホールへの誘い
そんな閉塞感に包まれていた頃、私は気まぐれに母をパチンコへ誘ってみました。本当に、ただの気晴らしのつもりだったのです。
私の母は、酒も飲まなければタバコも吸わない。ギャンブルの類いには一切興味を示さず、それまでパチンコ店という空間とはおよそ縁のない人生を送ってきた人でした。
ところが、近所の知人との世間話で少しだけ興味が湧いたらしく、台所で「一回くらい、どんなところか行ってみようかね」と呟いたのを耳にしました。
それならちょうどいいと思い、気晴らしを兼ねて一緒に連れ立って出かけることにしたのです。
ホールに入り、選んだ機種は当時絶大な人気を誇っていた平和の名機『綱取物語』でした。私は母に151番台を勧め、簡単な玉の打ち方だけを教えてから、自分は少し離れた別の台へ座りました。
「まずは投資1万円だけ、遊ぶつもりで打ってみたらいいよ」
そんな軽い気持ちでした。まさか、この何気ない誘いが、後々まで私の胸に残り続ける忘れられない一日になるとは想像すらしていなかったのです。
母の台が大爆発と終わらない地獄モード
怒涛の天国モード連チャン
実戦が始まって間もなく、私の心配をよそに母の台から「ピピピピピ……」と威勢のいいファンファーレが響きました。そこからの展開は、まさに圧巻の一言でした。
ビギナーズラックという言葉だけでは片付けられないほど、凄まじい連チャンが続いていきます。大当り確率 約1/37の「天国モード」をしっかりと射止めていたのでしょう。
初心者特有の、どこかおぼつかない手つきでドル箱を交換する母の姿。気が付けば足元には10箱以上ものドル箱が整然と積み上がっていました。
私は自分の台と向き合いながらも、何度も首を伸ばして母の様子を覗いて見ました。母は本当に楽しそうでした。
普段の生活ではあまり見せないような、少女のような純粋な笑顔を浮かべてハンドルを握っています。その姿を見て、「連れてきて良かったな」と、私も自分の負け分を忘れて嬉しく思っていました。
ところが、パチンコというものは突如としてその表情を変えます。楽園のような時間は、長くは続きませんでした。
牙を剥いた約1/988の底なし沼
激しい連チャンがピタリと止まった直後のことでした。母の台は、それまでの賑やかさが嘘のように静まり返ってしまったのです。
当たらない。それどころか、熱いリーチすら一向にかからなくなりました。
無情に時間だけが流れていき、足元に誇らしげに積まれていたドル箱が一箱、また一箱と、牙を向いた綱取物語の「地獄モード(大当り確率 約1/988)」へと吸い込まれて減っていきました。
見ているこちらの方がハラハラしてしまい、私は何度も母の席へ行って声をかけました。
「母さん、もう十分遊べたし、やめとこうか」 「今日はしっかりプラスが出ているんだから、ここで流した方がいいよ」
普通の人間なら、出玉が半分になった時点で「これ以上減らしたくない」と席を立つはずです。当時の私であっても、おそらくその賢明な判断を下して撤退していたでしょう。
ところが、母の反応は私の予想を完全に裏切るものでした。
「ううん、もうちょっとやってみるわ」
母は静かに、しかし毅然とした口調でそう言い残すと、黙って液晶画面を見つめ直しました。焦る様子もなければ、台に対して苛立つ素振りも一切ありません。
ただひたすらに、淡々と右手をハンドルに添えていたのです。
【パチンコ昭和・平成レトロあるある:『綱取物語』の地獄モードと自力引き戻しの恐怖】
◆ 天国と地獄が隣り合わせの数万発モンスター機『綱取物語』
1993年に登場した平和の『綱取物語』は、大当り確率約1/37の「天国モード」に入ればドル箱が瞬く間に積み上がる反面、一度「地獄モード(約1/988)」に落とされると底なしのハマリが待ち受ける極端な波を持つ名機でした。
◆ 電源立ち上げと自力大当りでしか抜け出せない暗黒のハマリ
地獄モードに突入すると、約1/988という途方もない確率を「自力で大当りさせる」ことでしか次のモードへ移行するチャンスが得られませんでした。
データ表示機のない当時、一網打尽にされる出玉と終わりの見えない回転数に耐え続けるのは、まさに精神力の限界を試されるホール内のサバイバルでした。
【この日の実戦から学んだプロの金言】
◆ 立ち回りを超えた「本当の粘り強さ」は感情を乱さない静けさにある
大ハマリに直面したとき、焦ったり苛立ったりして感情を乱すのは最も自滅を招く行為です。
理不尽なハマリの中でも淡々とハンドルを握り続ける母の静かな姿勢は、専業がどんな過酷な局面でも冷静さを保ち続けるための重要な精神的支柱(ルーツ)を思い出させてくれます。
◆ データや理論を支えるのは、打ち手自身の「折れない心」
ボーダー理論や交換率の計算といった知識・技術は不可欠ですが、極限状態のホールで最後に勝負を分けるのは、自分の選んだ台と根気強く向き合い続ける「精神的なタフさ」です。
母の背中から学んだこの精神こそが、長期的な稼働を生き抜くための最大の武器となります。
私が驚いた母の姿とパチプロとしてのルーツ
3,000回転に耐え抜いた驚異の精神力
ハマリはどこまでも深く、暗い底なし沼のように伸びていきました。1,000回転を越え、2,000回転を越える。
正確なデータ表示機がないため確実な数字は分かりませんが、玉の消費量と経過した時間からして、体感的には3,000回転近くまで達していたはずです。
当時の綱取物語は、大当り時や電源立ち上げ時にモード移行が行われるシステムでした。つまり、大当り確率が約1/988にまで落ち込む地獄モードに叩き落とされた場合、基本的には「自力でその約1/988を引いて大当りさせる」ことでしか、次のモード(通常や天国)へ移行するチャンスは生まれません。
一度ハマり出すと、自力でその高い壁をぶち破るまで無限の闇が続く過酷なスペックだったのです。
私自身、専業として数々の理不尽な大ハマリを特等席で経験してきた自負はありました。それでも、目の前で起きているこの状況は、あまりにも異常でした。
普通なら、心がポッキリと折れてしまう場面です。ため息を漏らしたり、天井を見上げたり、席を立って缶コーヒーを買いに行きたくなるのが人間の心理というものでしょう。
ところが、母は違いました。驚くほど静かだったのです。
表情一つ変えず、ただただ真っ直ぐに盤面を見つめ、黙々と玉を打ち続けていました。
その凛とした横顔を見ているうちに、私は途中から自分の台の勝敗などどうでもよくなり、母の存在そのものに強く惹きつけられていました。
「この人は、なんでこんな極限状態で平気でいられるんだろう」
背筋が微かに震えるような感覚を覚えたのを、今でも鮮明に覚えています。
己の中に流れる「粘り強さ」の血
後年になって、専業生活を続ける中で、ふと思い返すことがあります。
私は昔から、周囲のパチプロたちに比べても、なぜか大ハマリに対し精神的に強い方でした。四桁のハマリを喰らっても、比較的冷静に釘や台の状態を見極め、淡々と稼働を継続することができました。
もちろん、内心は苦しい。楽しいわけなどありません。それでも、感情を乱さずに我慢し続けることができたのはなぜだろうと、不思議に思うこともありました。
その答えのすべてを、あの日の母が後ろ姿で示してくれていたのだと、今ならはっきりと分かります。
どんなに理不尽な状況に置かれても、決して慌てないこと。 己の感情を無駄に表に出さないこと。 そして、自分が信じて決めた結果が出るまで、ただ実直に継続すること。
私は母親の静かな背中を見つめながら、心の底から得心のいく確信を抱いていました。
「ああ、私のこの粘り強さは、この人の血が流れているからなんだな」
回顧録の文章としては、少し大げさに聞こえるかもしれません。それでも、当時の私は本気でそう感じ、妙な感動に包まれていたのです。
最後に訪れた大逆転と忘れられない一日
夜10時の狂い咲きと自力で掴み取った勝ち
そして、時計の針が夜10時近くを指したころ、まさにその瞬間が訪れました。
長い、本当に長い沈黙を破り、母の台のデジタルが激しく狂い咲きました。待ち侘びた大当りが、ついに訪れたのです。
地獄モードの約1/988という途方もない確率を、母の執念が自力で引きずり下ろした瞬間でした。
そこからは、まるでタガが外れたように、猛烈な「天国モード(大当り確率 約1/37)」の連チャンが再始動しました。
それまでの深いハマリで失ったすべての出玉を、一気に取り戻すかのような勢いでドル箱が再び積み上がっていきます。
閉店の瞬間まで、母は驚くほど冷静なままでした。むしろ、周りで見守っていた私の方が、「頼む、止まらないでくれ」と拳を握りしめて興奮していたくらいです。
最終的な結果として、母の財布は大勝利という素晴らしい形で満たされました。
私の収支は相変わらず厳しい結果のままでしたが、不思議と悔しさや嫌な気分は微塵もありませんでした。
今日の主役は、誰がどう見ても完全に私の母でした。
専業として内面に宿す最大の財産
これまでの人生の中で、パチンコにまつわる思い出は数え切れないほどあります。信じられないような大勝ちに歓喜した日もあれば、一歩も動けなくなるほどの惨敗に絶望した夜もありました。
それでも、あの1994年6月中旬の一日だけは、私にとって他のどの記憶とも違う、特別な光が当たっています。
それは、いくら勝った、いくら負けたという数字の話ではありません。収支の損得でもありません。母という一人の人間の、底知れない心の強さを初めて目の当たりにした日だったからです。
そして何より、専業としての壁にぶち当たっていた私自身が、自分自身の根っこの部分、プロとしての精神的なルーツを見つめ直すための、かけがえのないきっかけになりました。
勝負の厳しい世界で生きていくためには、当然ながら釘を見抜く技術や台の知識が必要です。専門誌から得る高度なデータも欠かせません。
ただ、それらの武器をいくら揃えたところで、どうしても乗り越えられない壁が目の前に現れることがあります。
そんな極限の局面で、最後に自分を支えてくれるのは、知識や計算ではなく、その人自身が内面に宿している「本当の粘り強さ」なのだと思います。
母が身をもって教えてくれたこの日の教訓は、その後の過酷な専業生活を生き抜く上で、私の心の中で決して枯れることのない、最大の財産となりました。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第19話】11連勝の裏側|開けても回らない台がある(1994年6月後半)では、長いトンネルをようやく抜け出した私が体験した、驚異の11連勝劇の記憶を振り返ります。
しかし、快進撃の裏側には「見た目の釘は開いているのに、なぜか回らない」という、パチンコ台が持つ深遠な罠が潜んでいました。プロとして新たな眼を養うことになった試練のエピソードをお届けします。
どうぞお楽しみに!


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