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前回の第13話では、回転率を意識した立ち回りを続ける中で、自分の中に「千円あたり35回転」という一つのボーダーライン(基準)が生まれたこと、実戦を重ねるうちに回らない台に対して違和感を覚える「打てない体」が少しずつ形になり始めたことについてお話ししました。
4月を終えた時点で、私は確かな手応えを感じていました。もちろん、まだ専業(パチプロ)として一本立ちできるような実力ではありません。
釘調整を見極める技術も発展途中でしたし、ホールのクセや営業方針を完全に理解していたわけでもありませんでした。それでも、自分なりに前へ進んでいる確かな感覚がありました。
ところが1994年5月。その自信は、ゴールデンウィーク期間中のP店であっけなく崩れ去ることになります。
好調だった4月の余韻と5月の始まり
甘さが見えた専業への意識
5月に入った頃の私は、少しだけ自信過剰になっていたのかもしれない。4月は試行錯誤を繰り返しながらも、自分なりの立ち回り基準を作り始めた月でした。
釘の状態が良いお宝台を探し、ヘソ(命釘)が狭い台には座らない。回転数を記録し、数値という客観的なデータで判断する。一時的な勝ち負けの良し悪しだけに振り回されない。
今思えば至極当然のことですが、当時の私にとっては大きな進歩でした。だからこそ、「5月も同じように動けば自ずと結果はついてくる」そんな甘い考えがどこかにあったのでしょう。
5月1日、違和感だらけのP店
5月1日の日曜日。私はいつものようにP店へ向かいました。ゴールデンウィーク期間中ではありましたが、月初でもある。多少の期待を胸に足を踏み入れました。
しかし、店内へ入ってすぐに異変を察知しました。シマ全体が重たい。特に本命だったフィーバークィーンⅡのシマを見ると、先月のようなヘソの開きがどこにも見当たらないのです。
何台か確認した中で、辛うじて目に留まったのが375番台でした。わずかに可能性を感じるものの、明らかに強い良釘台ではありません。
見れば一目で分かる。35回転クラスの台ではないのです。それでも、完全に打てないとも言い切れないその中途半端さが、私の心を迷わせました。
本来なら、この時点で回れ右をして帰宅するべきでした。ところが私は、「これも勉強だ」「回収日の状況も確認しておくべきだ」と、都合の良い言い訳を自分自身に並べ立てて着席してしまったのです。
中途半端な数値がもたらす判断の迷い
32回転という危険な回転率
打ち始めると、回転率は千円あたりおよそ32回前後を示しました。悪くはない。しかし、私の理想の35回転以上には届かない。
今なら即座に見切る判断ができますが、当時は違いました。35回転という基準は持っていて、その基準を意地でも守り切る精神的な強さがまだ不足していたのです。
「32回、33回……もしかするとこれから上振れするかもしれない、ただのムラかもしれない」そんな未練がましい期待が捨てられませんでした。
実は、この中途半端な回転率こそが最も危険なのです。25回転や28回転といった極悪な回収調整なら、未練なく諦めがつきます。
しかし32回前後は、「もう少し粘れば回るかもしれない」と思わせてしまう魔力がありました。結果として私は、その日を重い負けで終えることになりました。
5月2日、執着による判断ミスの連鎖
翌日は月曜日。本来ならホール側も釘を動かしてくる、期待できる曜日です。私は仕切り直しのつもりでP店へ向かいました。しかし、店内を見渡した時、その期待は一瞬で消え去りました。昨日よりさらに釘が締められていたからです。
この時点で退店するべきでしたが、私は帰れませんでした。理由は単純で、前日にフィーバークィーンⅡの375番台を打っていたからです。
人間は不思議なもので、一度触った台に妙な執着を抱いてしまいます。「昨日打ったから」「昨日よりはマシに見えるから」という曖昧な理由で、無理やり打てる根拠を探してしまうのです。
そして私は再び座り、結果は散々な大負けとなりました。回転率は27回転から28回転程度。完全にボーダーラインを割っています。それでも席を立てませんでした。
「せめて初当りを引くまでは」という考えが頭をよぎった時点で、すでに立ち回りの判断を見誤っていたのだと思います。
初当りまでに1,017回転を要しました。今振り返っても、典型的な地獄の負けパターンでした。
【パチンコ昭和・平成レトロあるある:大型連休(GW)の回収調整と「打ちたい言い訳」】
◆ 書き入れ時(ゴールデンウィーク)の容赦ない鉄板釘調整
1990年代当時も今と変わらず、GW・盆・正月といった大型連休は全国のホールにとって年間最大の「回収期」。
普段は看板機種として甘く扱われていたメインデジパチも、連休初日からヘソも寄りも露骨に叩かれて締め込まれるのが当時の風物詩でした。
◆ 「勉強だから」という専業初期特有の逃避行
「今日は回収日だけど勉強のために様子を見る」「昨日は打てたから今日もマシなはず」と、状況が悪いと分かっていながら自分に言い訳を作ってハンドルを握ってしまうのは、誰もが通るプロへの洗礼。
打たない勇気(撤退)を持つことの難しさを痛感する瞬間でした。
【この日の実戦から学んだプロの金言】
◆ 「打てる台を探す」ことと「打つ理由をでっち上げる」ことは正反対
回らないと分かっていながら「せめて初当りまで」「昨日打ったから」と理由をこじつけるのは、プロの立ち回りではなく単なる依存心です。
勝つための条件を満たしていない状況に直面した時、潔く身を引く「打たない勇気(撤退力)」こそが、資金を守り生き残るための最大の技術です。
◆ 台の釘調整だけでなく「ホール全体の営業サイクル」を読む
目の前の釘(コンマ何ミリ)だけを凝視していても勝率は上がりません。
カレンダー(連休・平日)や店の回収・還元サイクルという「ホール側のビジネスの都合」を客観的に把握して初めて、お宝台に巡り会える確率を極限まで高めることができます。
厳しい結果から見えてきたホールの論理
良い台を探すのではなく、理由をでっち上げる悪循環
さらに情けなかったのは、その翌日です。私は再びP店へ足を運んでいました。釘が閉まっていることも、状況が厳しいことも分かっている。
それでも打ってしまう。
論理的な理由はなく、ただ打たずに帰る決断ができなかっただけです。
「回る台を探す」のではなく、「打つための言い訳を探す」。当時は完全に本末転倒でした。
勝つためのパチプロではなく、「パチンコを打ちたいから理由をでっち上げるただの客」に成り下がっていたのです。
これは専業を目指す者として、最も危険な底なしの悪循環でした。
こうして5月上旬は厳しい大敗が続き、大幅なマイナス収支を叩き出すことになりました。数字だけ見れば大きな資金の損失です。
しかし、本当に痛かったのは金額ではなく、自分自身への深い失望でした。4月の終わりに「打てない体」ができたなどと自惚れていましたが、現実は違いました。
頭では理解していても、行動はまだ目先の欲に簡単に負けていたのです。
「回らない」と分かっていながら、「打つべきではない」と知りながら、誘惑に抗えず座ってしまう。その未熟な事実を容容赦なく突き付けられました。
カレンダーに応じたホール側の事情
ただ、この痛烈な失敗は決して無駄ではありませんでした。私はこの頃から、目の前の台だけでなくホール全体の流れ(営業サイクル)を見るようになります。
なぜ今月は釘が開かないのか。なぜゴールデンウィーク期間中はこれほど回収調整になるのか。なぜ先月とこれほど状況が違うのか。
台の盤面だけを凝視していても、答えは見つかりません。ホールにはホールの都合があり、営業方針があり、大型連休(GW)などのカレンダーに応じた運用サイクルがあります。
そのパチンコ店という事業のビジネス論理を、身を削ることで少しずつ理解し始めていました。
今振り返ると、この時期は「台の釘を見る段階」から「ホール全体の動きを読む段階」へと、視点がひとつ上がった重要な過渡期だったのかもしれません。
理性と向き合う次のステップへ
打たない勇気という新しい教訓
1994年5月上旬。結果だけを見れば失敗の連続でした。しかし、この手痛い負けは私に大切な教訓を遺してくれました。
「優秀な回る台を探し出す技術」と、「状況が悪ければ打たずに店を出る勇気を持つこと」は、全く別の能力であるということです。
当時の私は、まだその両方を兼ね備えてはいませんでした。だからこそ手痛い敗北を招いたし、深く猛省しました。
そして、その反省こそが、次の新しい経験へと私を突き動かしていくことになります。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第15話】愛着がもたらす罠|ミラクルフォースSPへのこだわりと判断のブレ(1994年5月中旬)では、P店での手痛い失敗を経て新たな店へと向かった私が、かつて打ち込んだ思い出深い機種と再会したことで巻き起こる心境の変化を描きます。
「好き」という感情や過去の成功体験が、プロとしての冷徹な判断をいかに惑わせるのか。愛着という甘い罠に直面した葛藤の日々をお届けします。
どうぞお楽しみに!


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