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「totomeのパチンコ記録」へお越しいただきありがとうございます。
前回の第15話では、D店の『ミラクルフォースSP』に現状打破を求めたものの、「思い入れのある機種ほど判断を狂わせる」という現実を痛感した時期についてお話ししました。
P店の釘は一向に開かず、気分転換に選んだD店でも安定した結果は残せない。それでも私は、心のどこかで「明日になれば何とかなるだろう」と楽観視していました。
しかし、その甘い見通しが完全に打ち砕かれる出来事が、この後に待っていたのです。
今回振り返るのは、1994年5月14日から5月21日までの8日間。専業生活を始めてから最も情けなく、そして最も深く反省した、苦悶の時間についての記録です。
曖昧な期待が生んだ判断の迷い
ホールの状況と断ち切れぬ未練
5月14日の土曜日。私はいつものようにP店へ向かいました。店内へ入り、真っ先にフィーバークィーンⅡのシマを確認します。
しかし、状況は相変わらずでした。ヘソ(中央の入賞口)はどれも閉まったままで、それどころか、前日までよりもさらに厳しい回収調整に見えるほどだったのです。
本来なら、進むべき答えは簡単です。そのまま何も打たずに退店する。ただそれだけでした。
ところが、その頃の私は帰ることができませんでした。なぜなら、数日前に何度か勝利を手にして出玉を出していたからです。
不思議なもので、負けが続いている時よりも、中途半端に勝てている時の方が、かえって立ち回りを誤ることがあります。
「もしかしたら、今日もどこかに打てるお宝台があるかもしれない」という、根拠のない淡い期待が芽生えてしまうのです。
この日もまさに、その罠に嵌まっていました。
根拠なき台移動の悪循環
打てる台がない。それは釘を見れば十分に分かっていることでした。それなのに、どうしてもホールを後にすることができないのです。
そうなると、次に取る行動は決まっています。少しでも良く見える台を触っては、回らないことに落胆してやめる。
そしてまた次の台へとカニ歩きし、同じように回らずに席を立つ。今思えば、これこそが最も犯してはならない最悪の悪手でした。
当時の私は、自分では「必死に打てる台を探している」つもりでした。しかし実際は違いました。単に「打ちたいというパチンコ欲」を満たすために、都合のいい理由をこじつけていただけだったのです。
サンドに野口英世を投入する手が止まらず、気付けば手元のお金だけが減っていきました。
夕方になる頃には、自分が一体どの台をどんな理由で打っていたのかさえ曖昧になっており、終わってみれば完全な自滅でした。
理由が分かるからこその葛藤
負けるべくして負ける現実
何よりも情けなかったのは、自分が負けた理由が、痛いほど分かっていたことです。運が悪かったわけでも、ヒキが弱かったわけでもありません。
最初から「打つべきではない回収調整」だったのです。それなのに、欲に負けて打ってしまった。だから負けた。ただそれだけのことでした。
専業生活を始めたばかりの頃の私は、なぜ自分が大負けしたのか理由が分からず、ただ途方に暮れるような敗戦を経験していました。
しかし、この頃になると違います。
釘の状態や回転率というボーダーの数字が見えている分、負ける理由がはっきりと分かってしまうのです。
分かっているのに、止められない。その負のループが、何より自分の心を蝕んでいきました。
自制心が働かなかった連続の過ち
本当に恐ろしかったのは、ここからでした。普通であれば、これだけ手痛い自滅を味わった翌日は、自らの立ち回りを修正するものです。ところが、私はそのブレーキを踏むことができませんでした。
翌日も、まるで何かに取り憑かれたようにP店へ向かいました。状況が変わっていないことは一目で分かる。それでも帰れない。
そしてまた、釘調整の厳しい台に投資してしまう。さらに翌日、その次の日も、同じ過ちを延々と繰り返したのです。
今振り返っても、当時の自分が信じられません。なぜあの時、思い切って店を出ることができなかったのか。なぜ冷徹に見切ることができなかったのか。
当時の私は、度重なる負けによって完全に冷静さを失っていたのだと思います。
「今日はさすがに据え置いてくれているかもしれない」
「この台なら、昨日のムラが解消して回るかもしれない」
そんな根拠のないオカルトばかりを追い続け、その祈りが現実になることは一度もありませんでした。
目の前にあったのは、ただ冷酷に積み重なっていくマイナス収支だけでした。
「専業失格」という自問自答
退路を断った意味の再確認
5月21日。この厳しい8日間が幕を閉じた時、手元に残った成績は2勝6敗、収支は大幅なマイナスという惨たんたるものでした。
数字だけでも十分に致命的な結果です。
しかし、本当に心に突き刺さったのは、失った資金の額ではありませんでした。状況が悪いと分かっていながら、誘惑を断ち切れずに打ち続けた自分自身の弱さだったのです。
私は、退路を断って専業(パチプロ)になるために会社を辞めました。
決して、気ままに遊んで暮らす自由が欲しかったわけではありません。
自分の立ち回り力と腕だけで、この厳しい世界を生き抜くことができるのかを試したかったのです。
ところが、現実はどうだったでしょう。
打てる台がないと分かっていながら、ホールの空気に呑まれて帰る決断すらできない。その未熟な姿は、自分が理想として掲げていた「プロとしての専業」とは、程遠い場所にいました。
正直に言えば、この8日間が終わった夜、私は暗い部屋で本気で自問自答していました。
「自分には、この世界で生きていく資格などないのではないか」
「最初から、専業失格だったのではないか」
情けなさで胸が張り裂けそうでした。
【パチンコ昭和・平成レトロあるある:両替機との往復と500円玉サンドのカニ歩き】
◆ 両替機へ走る手が止まらない「カニ歩き」の泥沼
釘が閉まっていると分かっていながらホールを出られず、「もしかしたらこの台なら…」とシマ中をカニ歩きしてしまうのは、打ち手が最も自滅しやすい負けパターン。
当時は店内の両替機で紙幣を500円玉に崩し、その500円玉をサンドへ次々と投入する手が止められず、夕方には理由も分からず大金を失っている恐怖は、誰もが一度は通る泥沼でした。
◆ 「打てるお宝台探し」が「打ちたい欲の正当化」にすり替わる瞬間
「状況を観察している」「勉強のために打っている」と自分に都合の良い言い訳をでっち上げ、パチンコを打ちたい欲求を無理やり正当化してしまう心理状態。
頭で理由(回収調整)が分かっているからこそ、自分の弱さに苛まれるプロ初期の激しい葛藤でした。
【この日の実戦から学んだプロの金言】
【この日の実戦から学んだプロの金言】
◆ 「打たない勇気」と「打てない体」が揃って初めてプロの立ち回りとなる
お宝台(開け調整)を見抜く技術と同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが「打てない日(回収調整)にハンドルを握らず帰る勇気」です。
感情を殺して打たない決断を下す「打たない勇気」と、回らない不快感を直感的に拒絶する「打てない体」の両方が揃って、初めてプロとしての安定した立ち回りが完成します。
◆ 「打てない日に打ってしまった」という敗因を腹に落とす
大敗した時に「運が悪かった」「ヒキが弱かった」とオカルトに逃げている間は成長しません。
「打てる根拠がないのに座ってしまった」「マイナスを焦ってすぐ取り返そうとした」という自分自身の甘さを客観的に認め、ホール側の営業サイクルを最優先に考える冷徹な意識こそが、どん底から這い上がる唯一の道です。
崩壊の先にあったシンプルな答え
痛烈な大敗から得た真の教訓
ただ、人生というのは不思議なものです。当時は絶望の底にいるように思えたこの大敗が、後になって振り返ると、私の専業生活において大きな意味を持つ転換点のひとつとなりました。
なぜなら、この痛烈な身を削るような経験を経て、私は初めて本当の教訓を理解したからです。
「パチンコにおいて、一時的な爆発力を期待する技術よりも遥かに難しく、そして重要なもの。それは『打たない勇気』であるという事実です。」
だが、それだけではまだ半分です。私が長い試行錯誤の末にたどり着いたのは、『打たない勇気』と、回らない台を直感的に拒絶する『打てない体』、この二つが揃って初めて、プロとしての立ち回りが完成するということでした。
傲慢さを叩き潰すための試練
回るお宝台を見つけることや、優れた釘調整を見抜く技術も、もちろん大切です。しかし、それ以上に重要なのは、「今日は打てない日だ」という現実を素直に受け入れ、ハンドルから手を離して帰る勇気を持つこと。
当時の私は、そのことを頭の知識としては理解していても、まだ自分の行動として実践できていなかったのです。だからこそ、あの過酷な8日間は、私の傲慢さを叩き潰すために必要な試練だったのかもしれないと今は思えます。
大敗を喫した時、人は二つの道に分かれます。現実から目を背けてさらに深い泥沼へとハマっていくか、あるいは自分の無力さを認めて必死に立ち回りを立て直すか。私は、這い上がる道を選びたいと強く願いました。
もちろん、翌日から急に完璧な立ち回りができるようになったわけではありません。しかし、この苦い経験を境に、私の中の意識は確実に変わり始めていました。
- 一度叩いたマイナスを、焦ってすぐにとりえそうとしないこと
- 打てる根拠がないなら、無理に座らないこと
- 自分の都合ではなく、常にホール側の回収・還元状況を最優先に考えること
- 「まだ打てるかもしれない」という自分自身の甘い感情を、まずは疑ってみること
この冷徹なプロとしての意識が、私の心に深く刻み込まれていきました。
失敗の本質と向き合う覚悟
1994年5月後半。それは私にとって、専業生活における最大級の失敗期間であり、最大の試練でした。
もしもあの時、この過酷な8日間を経験していなければ、私はもっと長い間、自分の弱さに気付かずに同じ失敗を何度も繰り返していたに違いありません。
大切なのは、ただ負けたということではありません。なぜ自分がそのような結果を招いてしまったのか、その本質を心の底から理解することでした。導き出した答えは、驚くほどシンプルでした。
「打てない日に、打ってしまった。ただそれだけだ」
しかし、このあまりにも単純な答えに本当の意味で気付き、腹に落とすまでには、数え切れないほどの敗北と、手痛い授業料が必要だったのです。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第17話】反撃の条件|数値理論の導入と『打てない体』の構築(1994年6月上旬~中旬)では、試練の8日間で味わった地獄のような苦悶を経て、いかにして立ち回りを再構築していったのかを描きます。
感覚や感情だけに頼る限界を悟り、明確な数値理論を導入することで、「打たないこともまた専業としての立派な仕事である」という真のプロの領域へ踏み出していく反撃の記録をお届けします。
どうぞお楽しみに!


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