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前回の第56話では、通常調整に戻った厳しい釘を前にして諦めかけた瞬間からの逆転劇や、のちに一世を風靡する名機の前身機との新鮮な出会いなど、12月下旬の立ち回りをお伝えしました。
今回は、泣いても笑っても残り3日となった1994年の年末に訪れた、これからの主軸となる新台との運命的な出会いから、思い出の機種との温かいバトンタッチ、そして大晦日の打ち納めまで駆け抜けた1年最後のドラマをお届けします。
12月29日(木):新台コーナーでの劇的な遭遇と1995年へ繋がる運命の序章
誰もいない空間で見つけた可能性と『プロレスⅡ』への挑戦
12月29日の木曜日。泣いても笑っても1994年の稼働は残り3日となりました。
この日、私はP店へ向かいました。
そこでは、かつての大切な相棒であるフィーバークィーンⅡと最初に出会ったときを思い出すような、不思議な出来事に遭遇することになります。
いつも通りに店内をゆっくりと歩き、カウンターの付近に差し掛かった時のことです。
ふと右手側に目をやると、なぜか誰ひとりとして座っていない、完全に貸し切り状態の新台コーナーが目に飛び込んできました。
「どんな機種が入ったのだろう」
「なぜこれほど優秀な調整に見えるのに誰も打っていないんだ?」
疑問に思いながら、何気なく釘を覗き込んでみました。
すると、驚いたことに何台かのヘソ(命釘)が大きく開いている台が目に入ります。
食い入るように見直してみても、自分のスタイルとしての見立てでは、千円あたり35回転近くは十分に期待できる素晴らしい見た目をしていたのです。
それは、かつて私の20万円プロジェクトをここまで延命させてくれた立役者、フィーバークィーンⅡを初めて見つけた時の衝撃と非常によく似た感覚でした。
盤面のデザインを確認すると、三洋の『プロレス7』によく似ていましたが、細部が異なります。
よく名称を確認すると『プロレスⅡ』という新しい機種のようでした。
誰も手をつけていない不気味さはありましたが、これほどの状態を前にして打たない手はありません。
「とにかく、まずは打ってみよう」と決意し、105番台に腰掛けました。
これが、のちに私のパチンコ生活に大きな影響を与えることになる『プロレスⅡ』との、劇的な出会いの幕開けとなったのです。
実際に玉を打ち出してみると、事前の予測通り、難なく千円あたり35回転という高い数値をクリアしてくれました。
この段階では「これは素晴らしい台を見つけた」という喜びの反面、「これほど回るということは、スペック自体がかなり厳しいのではないか」という懸念も頭をよぎりました。
独特なスペックと驚異的な時間効率
私の記憶では、この『プロレスⅡ』はノーマル確変機(現金機)で、大当り確率は1/245か1/247。
確変中の大当り確率は通常時と同じで、確変突入率は15分の4(1、3、5、7の図柄で確変に突入)となり、確変中に再度確変図柄で当れば状態が継続するという1回ループの仕様だったと思います。
(※後日、同じホールに通う同業者から聞いた話では、「確変突入率が15分の4というのは、当時のノーマル確変機としては辛い部類に入るから、普通は怖くて手を出さない」と言っていました。)
しかし、この機種の本当に凄まじいところは、1日の総回転数をすこぶる多く稼げるという高い時間効率の良さにありました。
さらに、確変中に大ハマリをすればするほど、手元の出玉が徐々に増えていくという独特な特性も持ち合わせていたのです。
自分の目を信じてそのまま粘り強く打ち続けていくと、1万円を使い切る前の早い段階で待望の初当りを射止め、朝の特典である無制限札も獲得することに成功しました。
「さあ、ここからどうなるか」と、胸を高鳴らせながらハンドルを握り続けます。
通常なら早く当ってほしいと願う確変中において、小デジの電チュウの確率がアップしていることと、電チュウの開いている時間も長くなるので、簡単な止め打ちを駆使するだけで持ち玉が増えていく状態になります。
「確変中はいくらでも深くハマってくれ」と心から思ったのは、私のこれまでの経験の中でもこの機種が初めてでした。
玉の通り道であるスルーさえホール側に厳しく閉められなければ、これから先も十分に自分の主軸として使えるのではないか、そんな強い手応えを感じさせてくれる1台でした。
気がつけば、あれよあれよという間に時間は過ぎ、良好な流れを維持したまま閉店の時間を迎えました。終日打ち切る(全ツッパ)形で回し続けた結果は以下の通りです。
■12月29日:プロレスⅡ(105番台)のデータ
- 総回転数:5,762回転
- 大当り回数:23回(確変10回)
- 大当り確率:1/251
何よりも驚くべきは、1日の総回転数が「5,762回転」という圧倒的な数字に達したことです。
これは誰が何と言おうと、これから自分のスタイルの中で積極的に使っていきたい機種だと、初見で強く確信させてくれました。
しかし、この出会いが1995年の年間収支を激変させる最大の存在になっていくとは、この時の私はまだ知る由もありませんでした。
12月30日(金)〜12月31日(土):新旧名機のバトンタッチと大晦日の穏やかな打ち納め
前日の余韻と相棒への回帰、そして無心の遊技
翌12月30日の金曜日。私は前日の興奮を胸にP店へと向かいました。
しかし、新台コーナーへ直行した私の目に飛び込んできたのは、昨日とは打って変わって見る影もないほど厳しく締め直された『プロレスⅡ』の姿でした。
他のシマを歩いてみても、年末の回収期ということもあり、全体的に非常に厳しい状況が広がっています。
正直に言えば、すぐにでもホールを出て帰宅するレベルの調整ばかりでした。
ただ、昨日の素晴らしい余韻が頭に残っていたこともあり、「少しだけ触って、今日は早めに上がろう」と決め、投資上限を1万円と定めて台を探すことにしました。
そこで私の足が止まったのは、私のパチンコ人生を一変させてくれた初代の名機、フィーバークィーンⅡのシマでした。
先ほど見たプロレスⅡの釘と、かつての相棒であるクィーンⅡの姿が、不思議と自分の中でシンクロしたのです。
数字や効率だけを追い求めるなら、回らないと分かっている台に座るなど愚の骨頂。ようやく取り戻した平穏な日常を守るためにも、一時の感情で資金をすり減らすリスクは避けるのが賢明です。
しかし、そんな打算的な計算をすべて度外視してでも、一年の終わりに「どうしてもこの台と向き合いたい」という強い心境に駆られました。
私はクィーンⅡの67番台に腰を掛け、まずは様子を見るために500円分の玉を上皿に入れて打ち出しを開始しました。
「新旧のバトンタッチになるかもしれないな。クィーンⅡよ、これまで本当にありがとう」そんな感謝の気持ちを心の中で唱えていた、まさにその時でした。
「回らないな」と確認する間もないほどのわずか数回転、その500円分の玉の残りで、鮮やかに図柄が揃って大当りを引き当ててしまったのです。
さらにうれしいことに、朝の特典である無制限札までもが付いてきました。
トータルでの回りを計算すると千円あたり27回転から28回転ほどしかなく、本来であれば論外の厳しい回りです。
ですが、「今日はこれでいい。持ち玉がノマれるまでは、のんびりと付き合おう」と割り切って遊技を続行しました。
不思議なもので、このような全く欲のない無心の状態のときほど、パチンコの神様が味方をしてくれる瞬間というのは、これまでの経験でも度々ありました。
純粋な運の良さにも支えられ、気づけば深いハマりに怯えることもなく、夜の9時まで途切れることなく打ち続けることができたのです。
■12月30日:フィーバークィーンⅡ(67番台)のデータ
- 総回転数:2,819回転
- 大当り回数:20回(2連チャン5回)
- 大当り確率:1/141
この機種としては滅多に見られないほどの大当り確率の軽さを記録し、手元には多くの出玉が残り、予想もしなかった良好なプラス収支でこの日を終えることができました。
相棒からの最高の贈り物を受け取ったような、温かい気持ちでホールを後にしました。
大晦日の完全回収日とルールに守られた打ち納め
12月31日の土曜日。世間は大晦日を迎え、周囲からは「そんな日までホールに行くのか」という呆れた声が聞こえてきそうな日です。
P店ののれんをくぐると、予想通り釘はどこを見渡しても完全に締め切られており、誰もが手痛い結果を味わう典型的な「完全回収日」の空気が漂っていました。
しかし、私の心の中は驚くほど穏やかで、まるでちょっとしたお祭り気分すら感じていました。
なぜなら、今月これまでに積み重ねてきた良好な結果のおかげで、当初あれほど私を苦しめていた「20万円プロジェクト」が、この年末の数日間で破綻することは絶対にないと確定していたからです。
精神的なゆとりを持ちつつも、決して慢心して大怪我をしないよう気を引き締め、この日は「1万円だけの勝負」と割り切って立ち回ることにしました。
打てるレベルにある台は見当たりませんでしたが、一昨日の素晴らしい時間効率が忘れられず、再び『プロレスⅡ』の107番台を選び、最後の1万円を試してみることにしました。
すると、打ち出しを開始してわずか3回転目、目の前のデジタルが綺麗に揃い、最初の大当りを手に入れることができたのです。さらに、ここでも幸運なことに無制限札が差し込まれました。
驚きはこれだけでは終わりませんでした。
その大当りの保留玉を消化した後、わずか6回転目に再度大当りを引き当てたのです。
実質的な2連チャンのような形で一気に出玉の余裕ができ、大晦日の完全回収日でありながら、一度も手元の現金を買い足すことなく持ち玉のままで遊技を続けることができました。
夕方前の5時半、手元に十分な出玉を残した状態で、私は1994年のパチンコの打ち納めとすることを決断し、ハンドルから手を離しました。
「今年1年、本当にお疲れ様。自分のスタイルを崩さず、よくここまで持ちこたえてくれた」
シマを出るとき、張り詰めた日々を生き抜いてきた自分自身の身体を、心から労ってやりたい気持ちで一杯になりました。
【レトロあるある:新台スルーの怪と年末無心プレイの奇跡】
◆ 誰も座っていない放置新台に潜む「爆回り調整」
ホールが新台を導入した直後、スペックの難解さや見た目の地味さから誰も座らず、新台コーナー全体がぽつんと空いている光景。
恐る恐るハンドルを握ってみるとヘソに吸い込まれるように回る「お宝台」だったという体験は、当時のアンテナを張っていたプロだけが知る高揚感あるあるです。
◆ 諦め半分の「無心」で打つと、なぜか引き当ててしまうパチンコの不思議
回収期で諦めムードの中、「500円分だけ」「持ち玉が飲まれたら即帰ろう」と全く欲を持たずに打った時に限って、わずか数回転で当たって伸びてしまう現象。
自分の感情を捨てて淡々と向き合うときほど、運の波を引き寄せやすいという不思議な実感が胸に残ります。
【この日の実戦から学んだプロの金言】
◆ 圧倒的な時間効率と電サポ増分は、見た目の確率を超える強力な武器になる
パチンコの勝率は単なる大当り確率だけでなく、「1時間に何回転回せるか」という時間効率と「電チュウ消化で減らない(増える)技術的要素」で大きく跳ね上がります。
スペックが厳しく見えても回転スピードと増減要素がズバ抜けていれば、年間の主軸になり得る大きなポテンシャルを秘めています。
◆ 厳しい回収期こそ「投資上限ルール」を厳格化し、余剰資金の安堵感に甘えない
年末のような完全回収日にホールへ向かう際は、「本日の投資は1万円まで」という自己ルールを徹底することが絶対条件です。
余裕ができたからと気が大きくなって深追いせず、プラスのうちに潔くハンドルから手を離す自制心こそが、苦しい1年を生き抜いた証であり最大の自己防御です。
1994年12月下旬の総括:激闘の1年を完走し手に入れた自信と1995年への糧
振り返れば、今年の2月から手探りでスタートした「20万円プロジェクト」の旅路。
決して平坦な道ではなく、少しの判断ミスで明日にも生活が行き詰まるかもしれないという瀬戸際の連続でした。
しかし、諦めずに釘と向き合い続けた結果、プロジェクトの崩壊を防ぎ、無事にこの日を迎えることができました。
今回振り返った1994年12月下旬の3日間は、激動の1年を締めくくるにふさわしいドラマチックな時間となりました。
大晦日の完全回収期という過酷な状況の中で、1995年の私の専業生活を大きく変えることになる新台『プロレスⅡ』と出会えたことは、まさに日々の釘観察を怠らなかったからこその成果であり、最高のプレゼントでした。
また、苦しい時期を共に歩んできたフィーバークィーンⅡに対して、無心の遊技の中で感謝を伝えながらバトンタッチができたことも、非常に美しい思い出です。
どれほど厳しい時代であっても、自分で定めた投資ルールを厳格に守り、引き際を見極める冷静ささえ失わなければ、道は必ず開ける。
1994年の最後に上皿の玉を見つめながら感じた安堵感と小さな自信は、明日への生活を繋ぐための何よりの大きな原動力となっていました。
当時のホールの独特な活気や、一喜一憂していた個人の記録が、少しでも皆様の記憶と重なれば幸いです。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第57.5話】totomeの眼2|1994年総括:軍資金プロジェクト完済と名機たちと歩んだ激動の1年(1994年年末特別編)では、残り6万円まで追い詰められた絶望の淵から始まった「20万円プロジェクト」完済への軌跡をドラマチックに振り返ります。
私にプロの眼を養ってくれたフィーバークィーンⅡをはじめとする3大名機への深すぎる愛と感謝、そして見えない店長とのヒリついた心理戦の裏側など、1年間の学びと葛藤を凝縮した特別編をお届けします。
どうぞお楽しみに!


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