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「totomeのパチンコ記録」へお越しいただきありがとうございます。
前回の第5話では、自分への貸付金20万円を手に始まったP店での『綱取物語』の実戦の日々についてお話ししました。
最初の9日間は6勝3敗と大きく勝ち越し、自分の運の良さを実力だと勘違いしかけていた私。しかし、2月10日からの6日間で状況は一変します。
毎日同じように朝一番で出目を確認し、同じようにハンドルを握っているにもかかわらず、当たらない。当たっても続かない。
その結果、20万円からスタートした資金は、ついに残り6万円という崖っぷちまで追い込まれてしまいました。
今回は、明日負ければ終了という極限状態の中で迎えた運命の日と、私が人生で初めて自分のお金でパチンコ雑誌を購入した日の思い出を振り返ります。
崖っぷちの2月16日、満身創痍で挑んだ背水の陣
すがる思いの朝一チェック
1994年2月16日。この日の朝、私は重い足取りでP店へ向かいました。
残り資金はわずか60,000円。もし今日もストレートで負ければ、自分で決めたルール通り、私の本格的なパチプロ生活はその瞬間に幕を閉じます。
「たった半月で終わるのかもしんないな」そんなネガティブな思考が頭をよぎりながらも、私は151番台に腰を下ろしました。
当時の私は、まだ釘調整(釘読み)など全くできませんでした。期待値という言葉すら知りません。頼りにしていたのは、綱取物語の朝一の出目確認だけでした。左から「十両・金星・小結」。
いわゆる「ジュウ・キン・コ」です。この図柄並びが確認できれば通常モードが期待できるとされ、多くの打ち手が朝一番に確認していました。
もちろん、それだけで勝てるほど甘い世界ではありません。それでも当時の私にとっては、それしかすがるものがなかったのです。
この日も祈るような気持ちで、ひたすらハンドルを握りしめ打ち続けました。
500円硬貨の重みと四十肩の激痛
実はこの頃、身体的にもかなり無理をしていました。当時は店内にある両替機で紙幣を500円硬貨に交換してから勝負を開始する、そんな仕組みが残っていた時代でした。
そのため私は、あらかじめ5,000円から10,000円分もの大量の500円玉を上着の左ポケットにパンパンに詰め込んで席に座っていたのです。
それでも、500円玉をポケットに詰め込んだ重みで左側に身体が傾いたまま、何時間も同じ姿勢でハンドルを握り、硬貨を投入し続ける日々。
その無理な姿勢がたたったのか、この時期は激しい四十肩の痛みに悩まされていました。左腕を上げるだけでも激痛が走り、近所の外科へ2〜3回ほど通院しながら、だましだまし台に向かっていたのです。
そんな満身創痍の状態で、残された退路もない極限の勝負。精神的にも身体的にも追い詰められた苦しい展開でしたが、この日は幸運の女神が微笑んでくれました。
中盤から運良くまとまった数珠繋ぎ連チャンに恵まれ、結果はプラス45,000円。資金残高は105,000円まで回復しました。
客観的に見ればわずかな金額の差かもしれません。しかし、当時の私にとっては天国と地獄ほどの違いがありました。
「まだ終わらなくて済んだ。明日もホールに立てる」その圧倒的な安堵感だけを胸に、私は重かった足取りを少しだけ軽くしてホールを後にしました。
初めて自分で買ったパチンコ雑誌、『猛爆パチンコ王』との邂逅
コンビニでの出会い
帰宅途中、夕食用の弁当を買うために近所のコンビニへ立ち寄りました。買い物を終えて何気なく雑誌コーナーへ目を向けると、一冊の本が目に飛び込んできました。
『猛爆パチンコ王』
価格は480円でした。表紙には西陣の『春夏秋冬』が大きく掲載されていた、1993年12月26日に発行された号です。
以前、会社の後輩から平和のブラボーキングダムの記事が載ったパチンコ雑誌を譲ってもらったことはありましたが、自分の意思でお金を出して購入するのはこれが初めてのことでした。
実は、当時の私にとってあまりにも思い入れが強すぎるこの一冊だけは、30年以上が経過した今でも捨てられずに、大切に手元に置いてあります。
今思えば、たった一冊480円の雑誌です。
それでも、当時の私にとっては非常に重みのある買い物でした。なぜなら、その日の危機一髪の勝利を経て、「このまま運だけで打っていても、絶対に長くは続かない」ということを身に染みて痛感していたからです。
帰宅後、貪るようにページをめくりました。そこには、それまでの私が全く知らなかった未知の世界が広がっていました。
誌面から伝わるプロの姿勢
- パチプロや、特定の店を根城にするジグマプロという生き方
- ヘソ周辺をはじめとする釘調整(釘読み)を見極める技術
- プロの共通認識である、台ごとの「縦の比較・横の比較」
- コラムや実戦記から伝わる、データ把握とホール状況分析の重要性
それまでの私は、ただ「当たるか当たらないか」という運の要素だけでパチンコを見ていました。
しかし誌面には、それとは全く違う、技術と経験則に基づいた冷徹なまでのプロの思考法が書かれていたのです。
【パチンコ昭和・平成レトロあるある:100円サンドの悲劇とコーヒーポチャリ】
◆ 右手ハンドル×左手クロスの罠
それ以前の100円サンド(玉貸機)時代に比べれば、500円玉対応になっただけでもだいぶ楽にはなっていました。
当時の100円サンドは台の右側に設置されていることが多く、右手はハンドルを握ったまま、左手を交差(クロス)させて右上の高い位置へ100円玉を入れ、サンドの玉出口に手のひらを押し付けプッシュする必要があったのです。
◆ ついに病院通い
100円玉を入れる位置が高いうえに、毎回左腕を大きくクロスさせて上げ下げしなければならず、これが四十肩の痛みに強烈に拍車をかけていました。
その蓄積とポケット500円玉詰め込みが相まってついに左腕が上がらないという症状に繋がっていたのだと思います。
◆ 恐怖の「コーヒーポチャリ」
そして一番嫌だったのが、隣(特に右隣)のお客さんが足元や台のすみに置いていたカップコーヒーです。
左手を伸ばして硬貨を入れる際、手から滑り落ちた玉が「ポチャン!」と隣のコーヒーの中に飛び込んでしまう事故がたまに発生したのです。
やるのもやられるのも本当に気まずく、「隣に人が座ると嫌だな…」と感じる大きな原因の一つでした。当時みなさんも経験したことがあるかもしれませんね。
【この日の実戦から学んだプロの金言】
◆ 浮上へのヒント:「運任せのギャンブル」から「根拠のある立ち回り」への脱却
勝った理由も負けた理由も分からないままハンドルを握り続けることこそ、パチンコにおいて最大のリスクトレーディングです。
・プロとアマチュアを分ける唯一の差は、「この台に座る明確な根拠(釘読み・千円あたりの回転数・ホールの癖)」があるかどうか
・感情やオカルトを排除し、徹底的にデータ管理と釘調整と向き合う姿勢を持った者だけが、確率の収束という冷酷な波を乗り越えて生き残ることができます。
・優良台を掴んだら1日打切る忍耐力も必要です。安定して結果を出すには長時間と多くの回転数が必要だからです。
運から理由のある展開へ、思考停止からの脱却
雑誌を読み終えた時、私の心には強い危機感と決意が芽生えていました。「今のままのスタイルでは絶対に駄目だ」
それまでの私は、大勝ちしてもボロ負けしても、その明確な理由を考えていませんでした。当たれば自分のヒキが強かったと喜び、ハマれば運が悪かったと諦める。その程度でしかありませんでした。
しかし、それではただのギャンブルであり、この世界で長く生き残ることは不可能です。
誌面には、のちに私が知ることになる「ボーダー理論」のような明確な数値としての計算こそまだ載っていませんでしたが、プロたちの圧倒的な経験則が詰まっていました。
そこで私は翌日から、まずは初心者なりに二つのことを徹底して実践してみようと心に決めました。
- ヘソ周辺をはじめ、釘調整(釘読み)の「縦の比較・横の比較」をじっくり行うこと
- この頃から自分の基準として定着しつつあった「千円あたり最低でも30回転以上はまわる台」という肌感を、今まで以上に強く意識して選ぶこと
当時はまだ、この「回転数」という基準も私の感覚的なものでしかありませんでした。
しかし、この時の「とにかくまわる台を探す」という不器用な実践が、のちのち論理的なデータ立ち回りと完全に融合していくことになるのです。
気になったミラクルフォースSP、マイナー機への強い興味
その購入した雑誌の中で、妙に私の目を引く機種がありました。西陣の『ミラクルフォースSP』です。
当時は液晶画面を搭載したハイクオリティな機種へ時代が動いていく過渡期であり、この機種は決して主役級の派手な人気機種ではありませんでした。
しかし、誌面で紹介されている独特のゲーム性や各機種のスペック解説を読んでいるうちに、なぜか強烈に惹かれるものを感じたのです。
ただ、当時私が通っていたメインのホールであるP店には設置されていませんでした。
それだけでなく、周囲にあるA店にもB店にもC店にも、どこを探しても見当たらないマイナーな台でした。
それでも、「打ってみたい」という思いは頭の片隅に残り続けていました。
少しずつ見え始めた新しい景色、不器用なデータ採りの始まり
2月17日以降も、私はメインの店であるP店で綱取物語を打ち続けました。
しかし、意識を変えたからといって現実はすぐに甘くはなりません。
分からないなりにヘソ周辺を覗き込んでも台ごとの釘の違いが判別できず、回転数を数えようとしても実戦の途中で数が分からなくなってしまうことも度々ありました。
当時は現在のような便利なデータ表示機(データカウンター)など設置されていない時代です。
ヘソ(命釘)に玉が入った回数(回転数)も大当り履歴も、すべて自分自身の目と手で把握するしかありませんでした。
それでも、以前の自分とは明らかに立ち回りの姿勢が違っていました。分からないなりにも台を観察し、考え、記録に残す。そうした小さな積み重ねを始めたのです。
結果として、17日はプラス50,000円。18日もプラス6,000円。資金残高は155,000円まで回復しました。
残り60,000円まで追い込まれていた最悪の時期を考えると、かなり持ち直すことができたのです。
D店で見つけた探し求めていた台、直感が告げた新しい主戦場
2月18日の実戦終了後。私は少し視野を広げるため、普段は行かない他地域のホールを見て回ることにしました。
地域のホール環境や設置機種を把握しておくことも、雑誌から学んだプロの立ち回りの一部だと考えたからです。
そして偶然立ち寄った初めての店、D店で思わず足が止まりました。そこには片シマ一列に、私が雑誌を見て探し続けていた『ミラクルフォースSP』が並んでいたのです。
誌面でしか見たことがなかったあの幻の台が、目の前にありました。
不思議なことに、そのシマを見た瞬間に私の心は固まりました。
「明日からは、この店に通ってみよう」
理論的な根拠はありませんでした。しかし、崖っぷちから生還した今の自分なら、この直感を信じていいのではないかという強い予感がありました。
そして、その直感は間違っていなかったのです。
2月19日からの9日間、私は毎日のようにD店へ通い詰めることになります。
そして、ミラクルフォースSPという機種の奥深い面白さと、そのホールにいる個性豊かな人々に、すっかり魅了されていくことになるのでした。
残り6万円という絶望から私を救ったのは、45,000円のプラスと、コンビニで偶然出会った一冊の雑誌でした。
運任せのギャンブルを捨て、データと釘調整に目を向け始めたことで、私のパチンコ生活は第二章へと突入します。
そしてD店で見つけたマイナー名機『ミラクルフォースSP』。この新しい主戦場で、私の記憶に今も強烈に残る「パンチパーマの店員さん」との、あの温かくも不思議な出来事が起こります。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第7話】閉店前の奇跡|パンチパーマの店員さんがくれた言葉(1994年2月頃)に続きます。新しく選んだD店で出会った、忘れられない強烈なキャラクターの店員さんとの出来事、それからミラクルフォースSPとの濃密な思い出について詳しく書いていきたいと思います。
どうぞお楽しみに!


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