【第28話】それでもP店へ通う理由|8月最初の小さな光(1994年8月上旬)

totomeのパチンコ記録

こんにちは。

「totomeのパチンコ記録」へお越しいただき、ありがとうございます。

前回の第27話では、苦しかった7月の戦いをなんとか終え、手探りの状態で次の月へと足を進めました。

専業としての生き方に大きな迷いが生じるなか、私のパチンコ人生において忘れられないドラマが待ち受けていた。

今回は、カレンダーが8月へと変わった初頭の記録である。

変わらない重苦しさと、引き際の美学

月初のホールに漂う沈滞した空気

1994年8月1日の月曜日。

「今月から8月か。あの苦しかった7月を思い返すと、今月はさらに厳しい状況になるかもしれないな……」

そんな予感を抱きつつも、カレンダーの第一月曜日という響きには、どこか昨日までにはなかった微かなワクワク感が混ざる。

いつものようにP店の重いドアをくぐり、まっすぐにフィーバークィーンⅡのシマへ足を向けた。

しかし、月が変わろうが週が始まろうが、ホール側から「やる気」のような熱気は伝わってこない。

容赦のない重苦しいオーラが店内の空気に散乱している。

空間全体がドヨンと濁って沈んで見えるのは、はたして私の気のせいだろうか。

打たずに家に帰るという選択肢が、真っ先に頭をよぎる。プロとして無駄な勝負は避けるべきだ。

ただ、月初めの月曜日という節目に何か打てる台のサインが残されていないか、もう一度だけシマを見て回ることにした。

1台1台、時間をかけて釘を見つめる。その中で目に留まったのが、508番台だった。

「この台、今日で3日連続で座ることになるな」

過去2日間の挙動から弾くと、おそらく千円あたり30回転弱は回ってくれるのではないか。

そんな計算が頭をよぎり、財布から紙幣を取り出す。

これはあくまでマグレを狙う立ち回りだ。

少しでもおかしな挙動があれば深追いはしない。

自分の決めた引き際を、朝一番から強く頭に叩き込んでハンドルを握った。

幸運な噛み合わせと、納得の勝ち逃げ

今日の508番台は、昨日よりも少し回りが鈍い。

玉のストロークを調整するが、千円あたり27回転から28回転といったところで推移していく。

結局のところ、今日もいつもと変わらない運任せの展開になるのだろう。

ただ、昨日や一昨日とは決定的に違い、この日は朝から展開に恵まれた。

早い段階で持ち玉遊技になり、気づけば足元にドル箱が2箱並ぶ。

大ハマリという深い底に叩き落とされないよう、心の中で手を合わせながら打ち続ける。

台に余計な刺激を与えてはいけない。

そーっと、だましだまし打っていく。

出たり入ったりという一進一退の攻防が、昼から夕方、そして夜へと延々と繰り返された。

夜10時を過ぎた頃、わずかに出玉が伸びたところで勝ち逃げを決める。

これこそが、自分なりのルールを徹底して守り抜いた末の「負けるべくして勝つ」ということなのだと、静かに納得して席を立った。

まったりとした滑り出しではあるが、8月は悪くないプラス収支でのスタートとなった。

生産ラインのような日々、削られていく心

4日連続となる508番台への着席

8月2日の火曜日。

昨日はたまたま展開に恵まれた。けれど、まだまだ紙一重の厳しい戦いが続いていることを、朝の冷たい空気の中で改めて痛感する。

今日も大きな期待は抱かないまま、いつもの時間に家を出た。

気が重い。その重さを引きずったまま、気づけばまた、昨日と同じ508番台の椅子に腰掛けている。これで4日連続の着席だ。

「もう、見たくもない釘だな……」

回らないと頭では分かっていながらも、毎日毎日、同じハンドルを握って同じ景色を見続ける。

まるで自分が工場の一本の生産ラインに組み込まれているかのような錯覚に陥る。

いつも同じことの繰り返し。

日常的に強いストレスが体にかかりっぱなしで、最近では胃薬を飲む日があるほど、体も心も削られていた。

「繰り返すしか、道はない」

予想通り、回りは昨日よりもさらに落ち込み、千円あたり25回転~26回転という厳しい数字のところで完全に固まってしまった。

なんとか4回の大当りを引いたものの、無情にもすべて単発。

手元に残った4枚のレシートを上回る軍資金が、サンドへと消えていく。

508番台にこれ以上の未練はない。きっぱりと見切りをつけ、378番台へ移動して少し様子を見てみることにした。

しかし流れは変えられず、最終的に9,000円の負けを出してホールを後にする。

今月も、状況が好転する要素はどこにも見当たらない。

明日からの立ち回りがどうなるのか、暗闇の中で全く先が見えなくなっていた。

泥臭いデータ収集の果てに見失ったもの

ジグマスタイルとP店への依存

8月3日の水曜日。

「月曜日に釘調整が行われない週は、その週全体に期待が持てない」

かつての自分の中にあったそんなマイルールは、先月から全く通用しなくなっている。

ホールが毎日綺麗に釘を開けてくれるわけではない。

まさに、動向次第で毎日の生活が左右される不安定な生き方だ。

それでも、一つの地域やホールに密着するジグマスタイルでこの荒波を乗り越えようと覚悟を決めたのは、他でもない自分自身。

頑張るしかなかった。

今と違い、当時はネットで手軽にホールの情報など手に入らない。

すべて自分の足で歩いて、自分の目で見て確かめるしか道はなかった。

自然と活動範囲は狭くなり、この地域で続けていけるのはP店以外に見当たらなかった。

私のパチンコ人生は、良くも悪くも「P店ありき」で成り立っている。

だからこそ、状況が良いときも悪いときもP店に通い詰めた。

目先の利益を求める前に、まずは日々の実戦と実績を積み上げ、それを一冊のノートに細かく書き控える。

そんな地道で泥臭い作業の繰り返しが、毎日の仕事だった。

摩耗していく感情と、脳裏をよぎる記憶

こんな生活を続けていくうちに、いつしかパチンコに対して「楽しい」とか「好きだな」という純粋な感情を、まったく抱けなくなっている自分に気づく。

感情はすっかり麻痺し、ただの作業になっていた。

それなのに、朝が来ればまたホールへ向かってしまう。

普通の会社員が普通に出社するように、私はホールへと通い続ける。何が一体、私をここまで突き動かしているのだろうか。

ふと立ち止まって考えたとき、頭に浮かんだのは過去の2つの衝撃的な記憶だった。

一つは、フィーバークィーンⅡとの衝撃的な出会い。

あのとき目にした圧倒的なヘソ(命釘)の大きさと、それを見つけた瞬間に脳を突き抜けた快感。

もう一つは、千円で40回転も回ったあのクィーンⅡの存在だ。

こんなに回る台がこの世に存在するのかと、文字通り目からウロコが落ちるような衝撃だった。

今では、その2つの強烈な成功体験だけが、私をパチンコ店へと向かわせる唯一の原動力になっている。

もしあの感動の経験がなければ、とうの昔に専業生活なんて辞めていた。

普通にどこかで働いた方が、よっぽど体も心も楽だからだ。

「今日こそは、明日こそは、あの日のあの素晴らしい光景に再び巡り会えるかもしれない」

そんな淡い期待を、どこかで捨てきれずに追っている。

けれど、冷静になって考えてみれば、私がこのP店に初めて足を踏み入れたのは今年の2月のことだ。

それも、『綱取物語』が近所ではこのホールにしか設置されていなかったという、単純な理由からだった。

それ以前のP店の動向なんて、周囲からの悪い噂以外に何も耳にしていなかった。

本当にこの不透明なホールに、これからの自分の人生を預けてしまっていいのだろうか。

もしかしたら、生き方自体を考え直す時期に来ているのかもしれない。

頭の中は、誰にも言えない不安と独り言で、ひとりパニック状態に陥っていた。

【パチンコ昭和・平成レトロあるある:回らない台の連続着席と「工場労働のような錯覚」】

◆ 4日連続で同じ台に座り続ける「工場生産ライン」状態

打てる台がなく、消去法で同じ台(508番台)の同じハンドルを握り続ける毎日。

「もう見たくもない釘」と知りつつも、ただ黙々と回し続ける感覚は、まるで工場の組み立てラインに組み込まれているかのような錯覚と強いストレスをプロに与えていました。

◆ 1万円ルールで粘った末の「フィーバークィーンⅡ・奇跡の7連チャン」

保留玉連チャン機とはいえ、初当りの重いフィーバークィーンⅡで「7連チャン」まで伸びるのは非常に珍しい大事故。

不発と我慢が続いた後に訪れる突然の大爆発は、身に染みついた重いストレスを一瞬で吹き飛ばすほどの猛烈な快感でした。

【この日の実戦から学んだプロの金言】

◆ 「過去の成功体験」への依存を客観的に見つめ直す

「かつて千円40回転回った」という強烈な体験は、苦しい時期を耐える心の支え(原動)になる一方で、厳しくなった現在のホールに執着しすぎる「縛り」にもなり得ます。

自分の感情が麻痺していないか、なぜこの店に通うのかを定期的にノートで整理・自問自答することが大切です。

◆ 「1万円ルール(投資上限)」を厳守した者だけに訪れるチャンス

状況が悪い時こそ、上限投資を決めて無駄な深追いを防ぐ「防衛策」が効いてきます。

破滅を回避する自衛ルールを頑なに守り、持ち玉遊技の限界まで粘り切るからこそ、7連チャンのような確率の偏り(上ブレ)という「ご褒美」をしっかりと手元に残すことができます。

奇跡の7連チャンがもたらした光

限界線での葛藤と、1万円ルールの徹底

8月4日の木曜日。

はたと我に返り、目の前の現実に集中する。今日の狙い台だった378番台の回り具合は、どう工夫してストロークを調整しても、目標である30回転には到底届きそうにない。

ここで、これまでに何度も窮地を救ってくれた、あの「1万円ルール」をあらためて胸に強く刻み込んだ。この厳しい状況を乗り切るために、上限1万円を使って駄目なら、そこで未練なく大人しく帰る。

ずるずると深追いして傷口を広げないための、プロとしての確固たる自衛策。

今日もその鉄則を忠実に守るべく、静かにハンドルを握った。

クィーンⅡで初となる未知の領域

動きがあったのは、夕方のことだ。

本日12回目となる大当りを引いたその時、信じられないことに、そこから怒涛の7連チャンまで一気に出玉が伸びてくれた。

フィーバークィーンⅡをこれまで何万回転と打ち込んできたが、この機種で7連チャンという大連チャンを経験したのは、これが人生で初めてのことだった。

ドラムが揃うたびに、胸の鼓動が高鳴る。

今日もルール通り、無理をせず、けれど閉店近くまで粘り強く我慢してしっかりと打ち切った。

最終的な結果は、大当り18回。

その内訳に2連チャンと、あの奇跡の7連チャンが含まれるという、良好な結果となった。

車への帰り道、体に染み付いた重いストレスが、久々に味わった強烈な連チャンの余韻で少しだけ軽くなったような気がした。

明日の8月5日の金曜日は、パチンコとは別の私用があるため、実戦はお休みとします。

今週の勝敗を振り返ってみると、結果は3勝1敗。本当に久しぶりに、すっきりと勝ち越してプラス収支を掴むことができたような気がします。

この良い流れを味方につけて、8月6日の土曜日からも、決して大張り切りはしないものの、一歩一歩地道にP店へと通い続けようと思います。

今回発動した1万円ルールは、開かない釘と閉ざされた状況の中で、自らの破滅を防ぐために無理やり生み出した規律に過ぎませんでした。

しかし、その厳しい縛りの中で耐え抜いたからこそ、人生初となるクィーンⅡの7連チャンという、思いがけない「小さな光」を掴み取ることができたのかもしれません。

ホールの癖に翻弄され、パチンコが楽しいとも好きだとも思えなくなった生活。

それでも、自分で決めた規律を頑なに守り、ノートに実績を積み重ねていくことだけが、生き抜く唯一の正解なのだと、今は静かに噛み締めています。

人生の迷いや専業としての葛藤は尽きませんが、私のデータノートには、また新しい希望の1ページが書き加えられました。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

次回、【第29話】崩れ去った1万円ルール|お宝台の誘惑と神棚に込めた祈り(1994年8月上旬)では、ひとつのホールに依存するリスクを感じ始めた私、視野を広げるために新たな地域の下見へと動き出す変化の兆しを振り返ります。

変わらぬ過酷な環境のなかで、専業としてさらに一歩殻を破ろうともがいた、真夏の奮闘記をお届けします。

どうぞお楽しみに!

totome

1980年代後半から約40年にわたりパチンコに親しんできたシニアパチンコファンのtotomeです。

当ブログは18歳以上の方を対象に、女性を含むパチンコ好きのシニア世代の皆さまと共に、昭和・平成・令和のパチンコの思い出や当時のホールの熱気、懐かしい名機たちを実体験をもとに振り返っています。

本ブログは勝敗を競ったり、遊技を推奨したりすることを目的としたものではありません。当時の時代背景や人との出会い、失敗や反省、専業時代に感じた迷いや学びも含めて記録として残している個人の回顧録です。

同じ時代を過ごした方には懐かしく、若い世代の方には当時のパチンコ文化を知る一つの資料として楽しんでいただければ幸いです。

totomeをフォローする
totomeのパチンコ記録
totomeをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました